[R18][UraSaka] 雨が止むにはまだ遠く
Author: 星屑
Link: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=18256941
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俺とあいつは、まだ物心がつく前からの幼馴染だった。
いつも俺の後ろをついて回って、時には転んで泣いてしまう坂田に手を差し伸べるのは、俺の役目だった。
少し泣き虫なこいつを、ほっとけないなぁとなんだかんだ世話を焼いて。
少し遅れて同じ色のランドセルを背負って、一緒に通うようになった小学校。
成長して、気恥ずかしさでなんとなく顔を合わせなくなった中学校。
それでも頭の片隅にはお互いの存在があって。
坂田が高校に入る頃には、お互いの部屋を遠慮なく出入りできるくらいの仲に戻っていて。
そう。初めて出会った時から15年もの月日が経っていた。
「俺、好きな人できた」
雨が止むにはまだ遠く
坂田の教室の前を通った時、たまたま一人で机に座っている姿を見つけた。
ぼうっと窓の外を見つめていて、廊下にいるこちらには気づいていない。
「さかた、帰らないの?」
開きっぱなしだったドアのところから声をかけると、振り向いた坂田と目が合って、あ、うらさん、なんて気の抜けた声が聞こえた。
糊の効いていた制服は既に坂田の体に馴染んでいて、すっかり高校生らしくなった姿に大人びいてきた顔立ち。
お互いを避けていたつい1、2年前。今思えばただの思春期だったのだろう、その間にこいつは随分と変わった。
よく笑いよく泣いていた坂田は、知らない間に繊細な表情を見せるようになったと思う。
背も追い越され、新しい友達と絡み、俺の知らない顔が増えて。まるで自分だけが成長していないような。
この寂しさは、どこから来ているのだろうか。
勝手に教室の中へ足を踏み込むと、ガタガタと椅子を鳴らし坂田に体を向けるよう前の席に腰を下ろした。
「なんかあった?」
訊いてもすぐに返事は来ない。真顔とも少し違う表情は、何を考えているかまでは読み取れない。
頭であれこれ考えている時の、坂田の癖だった。
まーたなんか思い悩んでんじゃねーの、なんて軽い気持ちで訊いたことを、俺はすぐ後悔することになる。
──俺、好きな人できた。
照れを隠すような笑みだった。
教室の窓から差し込む放課後の夕陽に照らされて、坂田の輪郭がやけに眩しかった。
ガン、と頭のてっぺんを殴られた。手から、足からザッと血の気がなくなるような感覚。痺れて、冷たくて少し痛い。
「……そっか」
長い沈黙を経てからの素っ気ない響きは、余計な違和感を与えるだけなのに。
他にかける言葉が見つからない。こういう時ばかり頭の回転は鈍い。
「うらさん?」
「……っ、頑張れよ」
応援してる。
心にもないことを言った。それでも坂田は、頬に紅を差しながら「ん」と頷いた。
坂田の顔が見れなかった。
好きな人の名前も聞きたくなかった。
こいつは俺のものなのに。
一瞬でもそう思ってしまった自分が信じられなかった。
友人として、幼馴染として、坂田の応援をしてやらなくてどうする。
わかっている。でも、だけど。
気付かない方が幸せだったのかもしれない。
知らないまま生きていきたかったのに。
もう、目を逸らせない。
どうしても、こいつを誰にも明け渡したくなかった。
こんな感情、気付きたくもなかった。
坂田が好きになったのは、同じクラスの女の子だった。
一度だけ、坂田と一緒に放課後ファミレスで駄弁っていた時に偶然出会ったことがある。
あ、と坂田が視線を向けたから、つられて同じ方を見てしまった。
肩の上で真っ黒い髪を切り揃え、細い手足を晒して控えめに笑う姿は一見大人しそうに見えて、ああ、坂田ってああいう子がタイプなんだなと率直に思った。
胸の奥に針が刺さった。
痛い。
痛みだけに意識が逸れてしまって、坂田と何を話したのか、ちゃんと答えられていたのか、うまく笑えていたのかもあまり覚えていない。
あの女の子には敵わないんだろうなと、それだけが漠然と記憶に残っていた。
俺は、別に女になりたいわけではない。
男が性対象だとも思っていない。
だから、坂田を好きになってしまったのは何かの間違いで。
きっと気の迷いなんだろうってことは分かってる。
そもそも同性を好きになるってどうなんだ。
考えても考えても、答えなんて出てきやしない。
今更、坂田のことが好きだと気付いてしまった。
それだけが救いようのない事実で、俺の首を真綿で絞めてくるかのようだ。
学校帰り、制服のまま俺の部屋に寄って寛いで漫画を読み漁っている坂田に、ふと声をかけた。
「なんであの子のこと好きになったの?」
えっ、と俺を見た坂田はたった一瞬でうっすら顔を赤くしていて、ほとんど見たことないその反応に少しの優越感とあの胸の痛みを覚えた。
「や、……その、席が隣で」
授業中のペアワークや忘れ物の貸し借りをしているうちに意識してしまったのだと言う。
話しかける度ににこにこしているところが可愛くて、と恥ずかしそうにしながら教えてくれた。
「吹奏楽部やから、放課後になると練習してる音が聞こえてくるんよね」
「だからあの時教室いたのか」
「……そう。頑張ってるなーって」
俺も坂田も部活には入らなかった。俺は中学校を卒業した時点で一区切りついていたし、坂田は自由選択できるのなら部活には所属しないと最初から決めていたらしい。
だから、あの時何をしているんだろうと不思議だった。
夕陽に照らされた輪郭が蘇る。少し赤くなった頬。あの子を想ったのか、少しだけ見せた笑み。
自分から聞いたのに、また自分の首を絞めてしまっている。
何がしたいんだろう。
このまま、幼馴染という関係性を崩したくはない。
崩れてしまったら、俺たちは隣にはいられなくなる。
でも、多分「幼馴染」で「一番の友人」なら、坂田の話に乗ってやるのが正解だと思う。
もしかしたら、坂田から話を聞いているうちに諦めがつくかもしれない。
どこかで消化できたら。
そう思って、坂田に敢えてあの子の話を振る機会が増えた。
それが、自分の想いを加速させるだけだとは気付かずに。
○●○
「さかた最近忙しそうだね」
ここ数日、一緒に帰れないタイミングが増えた。
最初は律儀に坂田の帰りを待っていたけれど、日に日に帰る時間が長引くうちに「先帰ってて」と言われるようになり、その通りに従っていたら朝の登校くらいしか顔を合わせる機会がなくなっていた。
「俺、文化祭の係になってん」
そういえば、俺のクラスでも昨日出し物の話し合いをしたばかりだった。こっそり課題を進めていたから、結局何に決まったのかまではちゃんと聞いていなかったけれど。
「へえ、そういうのやんの珍しいな」
「あー、それね、」
坂田が何か言いかけたところで後ろから、坂田くん、と声が聞こえた。
振り返ると、あの黒い髪の女の子。
「さっき先生、坂田くんのこと探してたよ」
「え、ほんま?わざわざありがとうな」
「ううん。じゃあ私部活あるから。仕事頼んじゃってごめんね?」
「ええよ、全然」
え、お前、そんな声出せたのかよ。
たった一分にも満たない会話だったのに、そこにいたのは俺の知らない坂田だった。声も、顔も、態度も、まるで何もかもが違う。
昔だったらもっと無愛想だった。必要最低限の愛想で答えていたはず。なんなら、あの子以外には今でもそういう態度とっているんじゃないか?
だって、こんな坂田、見たことない。
俺から見たら、坂田がこの子のことを好きであることなんか例え言われなかったとしても一目でわかる。多分他の奴らも薄々気付いてんじゃねーかなって思うくらい。
全身で、この子のことが好きだと示していた。
パタパタと上履きを鳴らしながら戻っていくあの子は、確かに笑顔が印象的で、俺より背が低くて、華奢で一人にしておけない、どこか守ってあげたくなるような可愛らしい女の子で。
ここに俺がいたことがまるで場違いのようで。
「先生の所行くんだろ」
その場を立ち去ろうとしない坂田に声をかける。
「あ、うん。ちょっと行ってくるわ。多分今日も遅くなると思うから」
「先帰ってる」
「うん。また明日」
俺の横をすり抜けて、坂田の背中が遠くなる。
多分向かう先は職員室なんだろうけど、俺にはあの子の影を追いかけているようにしか見えなくて。
二人が肩を並べて歩く姿が容易に想像できてしまって、思わず両手を胸の前でぎゅっと押さえるしかなかった。
爪が、手のひらに食い込んで、痛くて。
でも、その代わり胸の痛みは少しだけ和らいだような気がした。
俺にとっての一番は坂田で、坂田にとっての一番も俺だと思っていた。
愛やら恋やらで関係が破滅することはあっても、友人という関係は一生続けることができる。
それはこれからもずっと縁が途切れないという意味で、とても魅力的で、同時に逃げ道でもあった。
これ以上何を望もうとしているのか。一番強固な関係を手に入れているのに。
それだけじゃ足りないと奥底の感情が叫ぶ。もっと先を、坂田の気持ちを、求めたいと思ってしまう。
自分だけを見てほしい。自分のことを常に考えていてほしい。存在だけでなく、あの女の子に抱えている確かな恋心までもをこちらに向けてほしい。
けどたった一つ、何かが狂っただけで全てが終わってしまうのなら。
それらを全て理性で押し潰す他なくて。
自分が我慢すれば良い。
それだけのことなのに、こんなにも息苦しい。
○●○
あ、さかただ。
母親におつかいを頼まれて、学校から寄り道をしていた帰り際。
たまたまいつもと違う道で坂田の背中を見つけた。
何気なく声をかけようとして、口を開けたまま言葉が喉の奥で引っ込んだ。
隣に、あの子がいる。
いつか想像した並ぶ二人の姿を、目の当たりにしてしまった。
身長の差も、背中の広さも、二人で笑い合いながら何かを話す横顔も、全部お似合いだった。
そろそろ付き合うんじゃないかと思えてしまうくらい、何もかもがぴったりで。
買い出しにでも行っていたのだろうか。坂田が重たそうなビニール袋を持ってあげて、二人とも楽しそうにお喋りしていて、こちらには目もくれないまま。
俺が見ていることには、これっぽっちも気付いてくれない。
自分に勝ち目がないことは最初から分かっていた、はずだった。
でも心のどこかで、坂田のことだからずっと片想いで終わらせるんじゃないか?とも思っていた。
そんなのは全部、自分の都合の良い解釈でしかなくて。
「……なんで、好きになっちゃったんだろうな」
もう何度考えたか分からない疑問が口をついて、誰の耳にも届かず消えていく。
文化祭当日は仮病で休んだ。
高校生活最後の文化祭。本来なら行かない方がおかしいんだと思う。
それでもどうしても憂鬱で、布団から出ることさえ億劫で、坂田から来た「うらさん今日休むの?大丈夫?」の連絡さえ適当にスタンプだけ返して放置した。
あの二人が一緒にいるところなんか見たくなんかなかった。
きっと今頃、あの日のように二人で肩を並べて校内を回っていることだろう。
多分係の仕事の一環で、見回りしなければならないだろうから。
いや文化祭の係が何をやるなんて具体的には知らないけどさ。
去年、隣のクラスのカップルが二人で係をやって、一緒に回っていたことは噂で広がっていた。
だから多分そうなんだろうなって。
そんな姿、見たくなかった。見かけてしまったら、自分の中で何かが壊れてしまいそうだったから。
そういえば俺のクラスお化け屋敷やってるんだっけか。
一緒に入ったのかな。あいつ意外とビビりだし、格好悪いところ見せていないだろうか。
その姿に幻滅してしまえばいい。
……あいつのことだから、あの子の前ではそんな格好悪い姿、見せないんだろうな。
考えれば考えるほどずぶずぶと沼のような深みに嵌っていく。
想像だけが膨らんで、休んだのにも関わらず全然気持ちは晴れないまま。
俺が誘ったら、一緒に回ってくれたのかな。
折角俺にとっては最後の文化祭なのに。もしかしたら、今日坂田と一緒にいられたら、思い出の一つとなっていたかもしれないのに。
でもあいつはきっと俺より、あの子と一緒にいる方が楽しいんだろうな。
俺なんかに好意を持たれても、気持ち悪いだけ。
ずっと慕ってくれたのに。俺はあいつにとってただの幼馴染で、それ以上でもそれ以下でもないのに。
部屋から一向に出ず布団に包まる俺に、家族には具合悪いのかと心配された。
その優しささえも煩わしかった。
○●○
そんな俺のことは露知らず、坂田は相変わらずたまに俺の部屋へと勝手に出入りしてきた。
別に拒む理由もなかったから、適当に受け入れて、二人でだらだらといつものように過ごす。
こんな日常の一コマでさえ一喜一憂してしまう自分の方がおかしいのだろうか。
「あ、そういや」
クッションの上に胡座をかきスマホをいじってた坂田が急に口を開いた。
「俺、あの子と、今度遊んで来るんやけど」
嬉しそうに、照れくさそうにはにかみながら辿々しく報告してくる。
それ、俺が聞きたくない言葉だって知ってて言ってんの?
「へえ、良かったじゃん。何しに行くの」
「映画。俺の観たいやつと被って」
この間言ってたやつだ。坂田の追ってる映画の新作が出るらしく、情報が出た時そわそわとしていたのを覚えている。
あれ、この間まで俺と一緒に観に行ってくれたのに、新作はあの子と行くんだ。
「あっちもシリーズ全部見てるんやって」
まるで運命みたいだよね、とまでは言われなかったが、幻聴で聞こえてくるような弾んだ声に何も言えず、
「そっか。楽しんでこいよ」
そう返すだけで精一杯だった。
それ以上は、どうしても聞きたくなかった。
文化祭が終わっても、俺と坂田が一緒に帰れる日はなかった。
係での仕事をきっかけに親密になったらしく、「女の子を一人で帰らせるわけにはいかないから」と何かしら理由をつけては毎日一緒に下校していた。
俺のことは、放置されたまま。
いいよ別にこっちは可愛い女の子じゃないし。心配になる要素もないだろうし。いざ変質者が来たら跳ね返せる自信もあるし。
だから別に、どうってことないけど。
登下校する時間の半分さえあの子に取られてしまうのかと思うと、なんとなく面白くないのも事実で。
こうやってどんどん俺から離れていくのかな。
「好きな子がいる」
そう言われたあの瞬間から俺の頭はいつだってぐちゃぐちゃだ。
全部お前にぶつけてやりたいくらい。
多分もう、ギリギリだった。
理性と、理性じゃない何かの間で揺れ動いて、自分が自分じゃないような、身を引き裂かれそうな、そんな時だったからだと思う。
崩壊は、突然だった。
「昨日、一緒に映画観てきたんやけどさ、」
何度も耳を塞ぎたくなるようなことを、いちいち聞かされて。
そりゃ最初は自分から話題振ってたけどさ。
そうじゃないじゃん。
「俺、好きって言っちゃった」
なんで俺に、全部報告してくるの。
「そしたら、いいよって」
耳を塞ぎたくても、塞げない。
だって坂田の恋路を応援するって言った。
過去の俺が。
「だから、俺、」
日曜の夕方。
家族は出かけていて、家には誰もいなくて、俺とお前の二人きり。
「付き合うことになったんだよね」
もうだめだった。
我慢していたけれど、限界だった。
坂田の行く末を見守るはずだった俺と、坂田のことを好きでどうしようもない俺がせめぎ合って、全部ぐちゃぐちゃ。
この先どうなっても、もうどうでもいい。
目の前に座っていた坂田の腕を乱暴に掴み、俺の座っていたベッドの方へと引き摺り込んだ。
「ぇ、な」
何を言わせる隙もなくその体をシーツの上に転がし、唇をぶつけ合う。
ゴツンと歯があたった。
「んっ、!」
坂田のくぐもった声が震えて響く。
そんなに長い時間ではなかった。
触れ合わせるだけ。俺にとっての初めてのキスは、甘くも気持ち良くも幸せでもない、ただの本能的な衝動だった。
「っ、は」
「……俺のこと、好き?」
狡い訊き方だと思った。
好き?なんて、好意には沢山の意味があるのに。
あえて触れず好きか嫌いかだけを問うなんて、困らせることは分かっている。
分かっていて、訊いた。
「……え、?」
「おれは好き。さかたのこと。こういう意味で」
目の前でうろうろと左右に視線を彷徨わせる坂田の頬はうっすらと赤く染まっていて。
あれだけあの子のことを思っては赤くしていた頬を、自分の言動一つで染め上げられたことに淡い高揚感が湧く。
「さかたは?俺のこと好き?」
戸惑っている様子を見て見ぬふりして、もう一度押してみる。
声にならないのか口をはくはくとさせていた坂田が、ようやく喉から絞り出した。
「好き、は、好きやけど、……こういう、違う、」
「あの子と俺、どっちが好きなの」
「それは……、」
「言って」
ああ、ほんと俺、今一番卑怯で最低なこと言ってる。
「言わなきゃもう一回するぞ」
「な、え、うらさっ」
「ごめん」
心にもない謝罪とともに、もう一度口をつけた。
どうせここで全て駄目になってしまうのなら、とことん壊してやりたかった。
気持ちも身体も全部がこんがらがって上手く解けない。頭と心が一致しない。坂田を離してやりたい自分とこのまま自分のものにしてしまいたい自分が混ざり合って頭がおかしくなる。
もう、ただの幼馴染で友人には戻れない。
「ごめんさかた。悪い」
本当にごめん。最低でごめん。今だけでいいから、許して。そのあとは許さなくてもいいから、今だけ。
さっきよりも長く感じた気がする。どれくらい唇を重ね合わせていたのはか分からない。
その間、坂田は抵抗することなく俺にされるがままだった。
突き放してくれないと調子に乗ってしまいそう。期待してしまいそうになるから。
これ以上歯止めが効かなくなる前にそっと離してやる。
惚けた顔の坂田がそこにいた。何を考えているのか全く読み取れない。
坂田の潤んだ目尻を見て、ちくりと胸に鈍い痛みが走った。
それと同時に、腹の底からぐらぐらと熱い何かが込み上げてくる。
「ずっと、好きだった」
「……いつから、」
「自覚したのは、お前に好きな人ができたと言われた時」
でも多分、好きになったのはもっと前から。俺が気がついていなかっただけで、きっと。
「……ごめん」
「……それは、どれに対してなの」
意地悪なことばっかり訊いてごめんね。でも、これ以上優しくできなさそう。
「……うらさんの気持ち、俺、知らんかった」
「うん」
俺だって、お前に伝えるつもりなんかさらさらなかったよ。
「…………うらさんのこと、そういう風には見れらん、かも」
だろうね。分かっていたよ。
いくらなんでもずっと隣にいたら分かる。
坂田は俺のこと、あくまで幼馴染として好きなんだもんね。
そして、自分の懐に入れてしまった人間を、酷い形で押し返すことも出来ないんだろ。
傷つけたらどうしようって。優しいもんね、坂田は。
ほら、今フラれた俺より辛そうな顔してる。
そういう優しさが、余計俺を苦しめるだけって知らない坂田が、好きで好きで少しだけ憎い。
「うらさん、まって、っ、」
もう一度キスをされると思ったのかぎゅっと可哀想なくらい目を瞑る坂田を視界に捉えながら、弛んだ襟ぐりを少しずらす。
思いっきり噛みついてやれば、くぐもった声が鼓膜を揺らした。
「んぅ!……った」
「っは、……ごめん、さかた」
くっきりと赤くついた歯型。
どこにこの衝動を、感情を、痛みを、ぶつけてやればいいのか分からなくて。
抵抗できない優しい坂田を利用して、こんなことして、
「好きになってごめん」
「……友達には、もう戻れらんの?」
「……」
まるで捨てられた仔犬。
眉を八の字にして、そんな悲しそうな顔で見てこないでほしい。
罪悪感と後悔に襲われてそのまま心臓が握り潰されてしまいそうだ。
このまま解放してやろうと思った。いい加減可哀想だし、これで全て終わりにするつもりだった。
坂田の言葉を聞くまでは。
「好きになれなくて、ごめん」
馬鹿だ。
お前も、俺も。選択肢ばかり間違えて。
決定打だった。
どうもがき苦しんでも坂田は俺のものにはならない。
一生手に入らないんだ、そう悟ってしまったから。
無理なら突き放してよ、お願いだから。
なんで、好きになれないのに受け入れてくれるの。わけわかんねぇよ。
醜い独占欲が顔を出す。
どうしたって自分のものになってくれない坂田が嫌で、坂田に翻弄されている自分も嫌で、乱れた目の前のネクタイを乱暴に解き、ワイシャツのボタンを上から一つずつ外していく。
未だに混乱しているのか、その間坂田は信じられないと言いたげな顔をしながらもされるがままだった。
首筋に顔を寄せ、先程噛んだ箇所を軽く舐める。甘くもしょっぱくもない。そのまま下まで手繰り寄せて、つんと立った胸の象徴を見つけ、頭で考えるよりも先に口へと含んだ。
舌先で舐めたり軽く潰したり、少し吸ってあげてからゆっくりと離す。
「……こういうのは?嫌じゃない?気持ち悪くない?」
「ん、ぅ、……んん、」
「……気持ちいい?」
「んっ、わ、わかんな、……っ」
涙目で、でも抵抗してこないこいつに、自分の醜い感情が少しだけ煽られた。
もう理性なんかとっくに擦り切れている。
下半身の方に手を寄せると、スラックス越しに固いものがあたった。
ただの生理現象かもしれない。訳も分からず流されているだけかもしれない。でも、もしかしたら少しは期待してくれているのかもしれない。どれでも良かった。
指先で下から上へとなぞり上げて、少しだけ強めに握ってあげる。一瞬坂田の腰が浮いたのを見逃しはしなかった。
男同士のやり方なんて知らない。
ただ、満たされたかった。
どうすれば満たされるのかわからなかったから、欲望のままに動いた。
この昂りを、熱をぶつければ楽になれると思った。
「んぁ、あ、……ぅあ、ま、まって」
「ごめん、とまれない、ごめんなさかた。嫌なら突き飛ばして」
「……ぅ、ん、……はぁっ、ぁ、あっ……、」
でもそれは、きっとダメなことだった。
「っ、」
どん、と胸のあたりを押された。
それが、この行為の終わりの合図だった。
「……うらさん」
目元を赤くし涙を溜め、肩で息をしながらこちらを見る坂田はひどく扇情的なのに、それ以上に拒絶されたことで体が急速に冷えていくようだった。
「……今日はもう帰るね」
するりと俺の下から抜けて中途半端にはだけていた制服を適当に直し、床に置いていたカバンを引っ掴むと、そのまま振り返ることなく坂田が部屋を出て行った。
タン、タン、と階段を降りる足音だけが聞こえる。
その場から動けない。力が入らなくなって、呆然と坂田のいなくなった自室のドアを見つめるだけ。
終わった。
もう戻れない。
戻れないところまで、来てしまった。
「……っはは」
何やってんだろう、俺。
こんな簡単に、俺たちの関係って終わらせられたんだな。
超えてはいけないはずの一線は、自分が思っていたよりも簡単に超えられてしまった。
この汚い恋情を抑える術が、もう俺には分からなかった。
○●○
まだ感触が残っている。
自分の唇にそっと指の腹を押し当てた。さっきとは全然違う。
もっと柔らかくて、熱があって。
男の人とは思えない柔らかさで、少しだけ甘いような気がして、
また、キスしてみたい、なんて。
「……嘘やろ」
嫌じゃ、なかった。
それがおかしいんだ。
きっかけは、隣の席になったことだった。
それまでは「クラスにこんな子もいたな」くらいで、顔どころか名前すらあまりよく覚えていなかった。
「あ、坂田くんだ」
席替えの時、隣に来た瞬間声をかけてくれた。
俺の名前覚えてくれているんだ、というのが第一印象で、そこからなんとなく気になったのが最初。
どんな子なんだろう、少しだけ話してみたい。そのくらいの好奇心だった。
それでもこっちから話しかける勇気はなくて、授業中こっそり隣を盗み見したり、ジャージに刺繍されている名前を見つけたりして、少しずつ彼女のことを覚えていった。
放課後に楽器と譜面台を抱えて廊下を歩く姿を見て、吹奏楽部に入っていると知ったのもそのあたり。
一度、教科書を忘れてきてしまったことがある。
授業が始まる直前に気付き、他のクラスの誰かから借りるタイミングも失ってしまった。
自分から話しかけたのは多分その時が初めてだったと思う。
「ごめん、教科書忘れちゃったから見せてくれない?」
小声で話しかけると、嫌な顔一つせずいいよと机をくっつけてくれた。
真ん中に教科書を置くと、自然と肩の距離が近くなる。
もともと女の子に対して耐性がない俺は、変に意識してしまって、先生の声なんか全然耳に入ってこなくて。
じんわりと汗が滲む。
どうか気付かれませんようにと思いながら耐えた50分間は、今までの授業の中で一番長く感じた。
チャイムがなった瞬間、どっと疲れが出た。自然と上がっていた肩から力が抜ける。
「大丈夫?見にくくなかった?」
急に声をかけられて、落ちていた肩が跳ねた。
「あ、ううん、大丈夫やったよ」
「良かった」
教科書を見せてくれた時と同じ笑顔でそう返されて、机が元の位置へと戻されていく。
机と机の間、人一人分が空いた空間が、やけに遠いと感じた。
俺、もしかしたら、この子のこと好きなのかも。
我ながら単純だとは思う。けれど、恋愛経験なんてゼロに等しい自分からしたら、そうとしか思えなくなっていた。
気付いたら意識していた。無意識のうちに目で追っていた。
恋が一体どういうものなのかわからなかったけれど、多分こういう気持ちのことをいうんじゃないかなって。
じゃあ、今のこのうらさんとの関係はなんなんだ?
「あっ、ん、……ぅ、」
「痛くない?」
痛いに決まってる。
一度は突き放したのに。
次に求めてしまっていたのは、俺だ。
あの日の続きを、知りたいと思ってしまったから。
うらさんの気持ちを弄んでいると言われても仕方がない。
それでも、どうしても手放すのが惜しくなってしまったんだ。
俺が知っている恋という感情は、もっとあたたかくて、穏やかで、でも心臓がはち切れそうになる程のドキドキとか、切ないような心地良いような、そういうものだったのに。
うらたさんから直接的に受けている、痛いほど焼け落ちるような暴力的な何かは、これも「恋」なのだろうか。
痛いのに、苦しくて泣きたくてつらいのに、それでも溺れそうなほどの強い快感に、嫌だと拒むこともできない。
むしろ、もっと欲しいと思ってしまっている。
「ぅ、うらさ、」
「なに?」
「もう、きて」
両手を伸ばしてうらさんを見ると、眉を寄せてなおうっすらと口角を上げられた。
「いいの?」
「いいから、はやく」
咄嗟に出た投げやりな声でそう伝えると、ふっと目を細めたうらさんが俺のそこへとあてがう。
挿れるところを確かめるようにグッと押すと、そのまま勢いでずるりと俺の中へ押し込んできた。
「──……ッ、はっ、ぁ」
熱い。俺とうらさんの境界線が分からなくなる。輪郭ごとなくなって、この暗い部屋の中に溶けていきそうだ。
どろどろになって、落ちてしまう。
上手く呼吸ができなくて、どこにいるのか分からなくなるのが怖くて。
必死にうらさんを探ると、すぐに俺の手を掴んでくれた。
汗ばんだ指を絡めあって、そこだけはっきりと温度があって。
からだを揺さぶられて、頭の中まで掻き混ぜられていって、
思考があちこちに散らばる。意味を成さない音だけが反動で喉からこぼれ落ちて、自分が自分じゃなくなっていくような。
どうなってもいい。好きにして。
誰かに求められる悦楽にこれ以上考えることを放棄して、全てうらさんへと身を委だねる。
そうして迎えた絶頂は、今までのどんなものよりも気持ちが良くて、視界が真っ白になって、何より自分を求めてくれている誰かがいることに、避けようのない幸福感を覚えるものだった。
○●○
明らかに俺とうらさんの間では何かが崩れてしまったはずなのに、そういう行為をしてしまったこと以外は全部前と同じ距離感で、だから昨夜のは夢だったんじゃないかと錯覚しそうになる。
「おはよ」
「はよ」
朝一緒に登校するのも変わらない。昨日学校であった話やどの授業が嫌だとか当てられたくないとか、そういう極々普通の会話を交わす光景も変わらない。
夜に見た獰猛的な面影はどこにもなくて、同一人物か?と内心首を傾げる。
余計な気まずさがないのは、多分この人があくまでもいつも通りを装ってくれているから。
自分だけがうだうだと考え続けてしまうのはなんか癪で、意地でも顔には出さず普段の自分を演じ続けた。
そうやっているうちにようやく本調子に戻り、校門をくぐる頃には本当に何もなかったかのように日常へと紛れていった。
「坂田くんおはよう」
どくんと心臓が脈を打った。
甘い胸の高鳴りではない、悪いことをしてしまった時のような嫌な音。
「あ、うん、おはよ」
今、笑顔作れていなかったかも。
「大丈夫?目の下、隈できてるけど」
覗き込んでくる視線が少し痛い。
なるべく不自然にならないよう、そっと目を逸らす。
「あー……、昨日、課題が終わらんくて」
「結構量あったもんね」
英語とかなかなか進まなかったもん、もうちょっと他の教科のことも考えてほしいよね、と話し続ける彼女は特に怪訝そうな顔をすることもなくカバンから机の中へと教科書をしまっていく。
そんな姿を横目に、これ以上勘繰られなかったことにこっそりと溜息を吐いた。
「ね、今日学校終わったら行きたい所あるんだけど」
初めて見た時と違わない、いつもの笑顔をこちらに向けてくる。
今度はドクンと胸が高鳴った。
こういう時、「好き」を実感する。
朗らかな彼女の柔らかい空気に触れる度、どうしようもないほど惹かれていく。
だからこそ起こしてしまった過ちに、どうしても罪悪感が拭えなかった。
あの一度きり。
二度と来ないであろう夜。
もう振り返ってはいけない。
頭では分かっていても、心のどこかでもう一度と思ってしまっている自分がいた。
最低だとは思う。
でも多分俺は、彼女のことも、うらさんのことも、どちらも離したくはなくて。
これ以上の繋ぎ止め方が分からなかった。
どうしたら二人ともいっぺんに手に入れられるのか、そんな方法があるのなら誰でもいいから教えてほしい。
課題やテストの答えは教科書に書いてあるのに、恋については誰も正解を知らない。先生に聞いてもきっと分からない。
模範解答があるのなら、今すぐにでも知りたかった。
放課後彼女に誘われたのは近くの駅前に最近新しくできたらしいクレープ屋。
学生服を着た女の子たちやカップルが列に並んでいるのを見て、成る程そういうことかと納得した。
確かに、ちょっとした放課後デートっぽい。
こういうところに憧れる彼女が女の子で可愛らしい。
「坂田くんは何食べる?」
並んでいる間に配られたメニューの紙を二人で覗き込む。
甘いものはあんまり…とは言えず、適当に一番安いチョコとバナナのクレープを指差した。
「じゃあ私これにしようかな」
そういって彼女が選んでいたのはいちごとカラースプレーの乗った可愛らしいやつ。
そういえば甘いもの好きだったよな。
もしかしたら、ここのお店教えたら喜ぶんじゃないかな。
一瞬脳裏に浮かんだのは、あの緑のよく似合う幼馴染。
別に思い出そうとして思い出したわけではない。たまたま、そうだったなって考えたくらいだったのに。
あの時見せた表情は、こんな可愛らしい甘さなんか到底似合わない、もっと濃いドロドロのチョコレートような、蜜のような、嚥下したら喉がひりつきそうな、そんな。
「順番来たよ」
隣から聞こえる声で我に返った。
「あ、うん」
彼女の高い声で思考が飛び散って、なんでもないふりをして彼女についていく。
あの人の存在が俺の日常の中に少しずつ侵食してきているのは、果たして当たり前のことだっただろうか。
今までもそんな風に思いながら生きてきたような、そうじゃないような、不確かな違和感が引っかかり拭えない。
一度疎遠になったとはいえ、うらさんとは小さな頃から一緒にいた。隣にいるのが当たり前だった。
だから、何もなくてもうらさんのことを考えてしまうのがこれまでもそうだったか、急に思い出せなくなっていた。
○●○
うらさんには、週一回のペースで抱かれていた。
告白される前は毎日のようにお邪魔して部屋に入り浸っていたけれど、抱かれるようになってから、流石にのこのこと部屋までついてきて何もしないってことはないだろうと思うと、自然と行く回数も減る。
それに関してうらさんから不満を言われたことは一度もない。だからその態度に甘えて、俺は自分の気分だけでうらさんについていくことが多くなった。
抱かれるのは悪い気分ではなかった。
最初に無理矢理とはいえ中途半端に焦らされたと感じた時点で、多分本当は嫌じゃなかったんだと思う。
全身で俺に劣情をぶつけてくるうらさんの姿を見て、その度にこんなに求めてくれるんだと愉悦感さえ覚える。
自分の体を使ってくれて、自分を手に入れようとして、自分の上で必死になる姿は、俺自身を満足させるのに十分な行為だった。
次第にそれが日常の一部へと変化していった頃、放課後急に彼女から呼び出された。
その日はうらさんと帰るつもりだったのだが、断りを入れて彼女のもとへと向かう。
空き教室にまで連れてこられて、告げられた言葉は「別れよう」の一言だった。
「え、なんで」
「勘違いだったらごめんね。……あのさ、浮気とかしてない?」
俺の声を遮るような問いに全身が強張る。不意に思い浮かんだのはうらさんとのことだった。
「して、は、ないけど」
嘘ではない、と思う。相手は男だし、俺にその気はない。
「そう。でも最近ずっと、私と一緒にいても楽しくなさそうだったよね」
「……そんなことないよ」
彼女のことはずっと可愛いと思っていたし、隣を歩くのも嫌じゃなかった。少し触れられるだけでも緊張した。顔赤くなっていないかなとか、滲む汗が見られていないかなとか、そういうのを気にしてしまうくらいには。
でも今思えば、普段においてドキドキする回数は減ったかも。慣れただけだと思っていたけれど。
「……ずっと気がついていなかったと思うんだけど、」
ここ、いつもキスマークついてるの、見えてたよ。
「っ、」
彼女が自分の首筋あたりを指差した。
慌てて同じ箇所を触ってみても、痛みもなければ違和感もなく、どこについているのか全く分からない。
鏡を見てもそこまで気にしたことがなかった。単なる痣とか虫に食われたとかその程度の認識だったと思う。知らないうちに付けられていたことを、こんな形で指摘されるとは。
「……やっぱり、他の人いるんだね」
何も言えなかった。
嘘偽りなく好きだと思った相手だった。優しくしたいとも、大切にしたいとも思っていた。
けど、思えば、彼女のことを本気で手に入れたいと感じたことはあっただろうか?
他の異性と話している姿を見たところで、嫉妬心を覚えたこともなければ強い独占欲を抱いたこともなかった。
うらさんは違った。
体だけでもなんでも俺を自分のものにしたいと、言われなくても伝わってくる。
同じような火傷しそうなほどの熱情を、俺が彼女へ抱いたことは一度もなかった。
恋が、わからなくなった。
彼女に対する甘やかな感覚と、うらさんから押し付けられている熱。
そして、俺自身がうらさんに向けているものは。
何一つとして、正解もなければ形もなくて。
「……ごめん。別れようか」
彼女からの言葉に、そう返す他なかった。
○●○
あの彼女とはキスもしていない仲だった。
その先に踏み入れたことなんて一度もない。
大事なことだから急かしたくはなかったし、そもそもそこまで欲を覚えなかったのも確かだ。
自分の手で汚すには勿体無いと、もう少し大人になったらすれば良いとしか思っていなかった。
「フラれた」
約束も何も取り付けていなかったのに急に部屋に上がりこんだ姿を見て、お前来るなら連絡しろよと悪態をついたうらさんが、俺の顔を見た瞬間黙り込んだ。
「……そ」
「うん。でね、うらさん、」
俺のこと抱いてほしいんやけど。
思っていた以上に細い声が出たその言葉に、目を見開いたうらさんから引っ張られ、一も二もなくベッドへ連れられ、冷たいシーツの上に沈み込んだ。
頭の中が余計なことでいっぱいで、自分のことさえ分からなくなりそうで、怖くて、何も考えたくなかった。
黙って抱かれて、何も考えずに束の間の幸せだけを享受したかった。
俺の体を好きに扱ううらさんを見て、自分を必要としてくれることが嬉しかった。
こんな痛くて気持ち良いこと、あの子には与えられない。苦しいだけだから。
乱れる彼女を想像しても、興奮よりそんなことを思い描いてしまう申し訳なさが募るのに、うらさんがこんなにも心も体も剥き出しにして俺を貫いてくるだけで、快感が何倍にもなって押し寄せてくるのだから救えない。
彼女には綺麗なことだけを教えたかった。
こんな醜い部分を知るのは、俺とこの人だけで良い。
「……さかた、」
「ぁ、……ん、なに、?」
「好き」
ほら、こんな簡単な言葉ですら後孔がきゅ、と締めつける。少し表情を崩したうらさんが、ゆっくり腰を動かした。
「ねえ、さかた、お前は?」
わかんない。
わかんないからこんなことになっているのに。
「……す、すき、うらさん、すきだよ、」
出た言葉は、最低なものでしかなかった。
俺のこと満たしてくれるから好き、頭空っぽになるくらい気持ち良いから好き、好きって言ってくれるから好き。
全部与えられたものを好きと言っているだけの自分が、一番酷い人間だった。
ずくりと俺の中にいるうらさんが一際大きくなる。少し目が潤んでいて、でも緩やかに口角が上がっているうらさんに、このまま食べられてしまいそうと虚ろになった視界の中で、そう思った。
初めて、自分だけイくことがなく行為が終わった。うらさんだけ欲を吐き出して、自分はどこか違うところに意識が飛んでいるみたいで。
快感なんて微塵も拾えなくて、体は汗やら何やらでベタベタなのに、頭だけがずっと冴えていた。
全然集中できなかった。
気付けばぼんやりとしている俺の姿を見て何を思ったのか、汗ばんでいるだろう髪をそっと撫でてくれて、額に軽くキスも落としてくれて。
笑っているように見えたうらさんのその目は全然笑っていなくて。
その瞳が真っ暗な闇に見えて、吸い込まれそうだった。それすらもただ眺めているだけ。
○●○
肌寒い日が続いている。
あの日から、うらさんには一度も誘われていない。
それどころか、登下校も、放課後も、休日も、全く声をかけられなくなった。
俺とうらさんは歳が違う。学年も違うから、一度こうなると見かける日は格段に減る。
避けられていることが分かってからは、俺もむやみに自分から声をかけることはなくなった。
偶然校内ですれ違っても、目が合ったところですぐに逸らされる。
その度に、少しだけ苦しくなる。
このまま自分のもとを離れていくのかもしれない。
焦燥感だけが嵩張んで、でも身動きが取れない。
授業時間、外から声が聞こえればつい窓の外を見つめてしまう。
朝も夕方も、下駄箱で見かけないかと面影を探してしまう。
明日になったら朝うらさんが迎えに来るかも、そんな期待をしてしまう自分に嫌気がさす。
あの時、好きだと言ってしまった。零れるように、滑るように口から出たあの一言が多分最後の砦だった全てを壊した。
この関係を壊したのは、うらさんでなく俺だ。
うらさんからの好意を道具にしていたのも、自分を追い求めてくれるからとその気持ちを蔑ろにしたのも、あの子の代わりのように抱かれに行ったのも、全部。
数年前、俺とうらさんが少し離れていた頃。
あの時はそれでもうらさんが自分の目の前からいなくなるとは少しも思っていなかった。
会わなくなっただけで、でも、心のどこかではずっと繋がっていたように思う。
少なくとも、俺はそうだった。
頭の片隅にはいつもうらさんの存在があった。
幼馴染だから。俺たちは絶対途切れないという確信を持っていたから。
本当に?
俺が好きだという前から、うらさんは俺のことが好きだったし、俺はうらさんに好きな人がいると告白した。
どこから違えたのか分からない道を一つずつ手繰り寄せていっても、いつどの瞬間にどうすれば良かったのかも分からない。
彼女に告白した時、あれだけ緊張して、喉がつっかえて、上手く言葉として吐き出すことすらできなくて、無理矢理捻り出したのに。
うらさんに伝えた「好き」はするりと喉を通って、そのまま目の前の肉体を突き刺した。
こんな簡単に言えるもんなんや、とまるで他人事のようにすら感じていた。
失恋で傷ついていたから、自分のことを求めてくれるから、うらたさんが自分のことを好きだから、場の空気に流されたから。
どれも最低な「好き」だったはずなのに。
そう口を滑らせた自分に違和感を覚えなかった。
うらたさんのことはずっと幼馴染として好きだと思っていた。
好きというのは沢山の種類があって、阿保だから単純なものでしか理解できないけれど、確かに俺とうらさんの好きは別物だった。別物だと決めつけていた。
好きという言葉に、幸せは附属するのだろうか。だとしたらうらさんは、ずっとお預けされていたのだろうか。目の前にある幸せという餌にありつけず、ずっと求めるだけ求めて、その度に何も得られなくて。
うらさんに初めて自分の全てを、身も心も曝け出した時、それを嫌だとは感じなかった。
俺の足りない部分を埋めてくれる存在だったから。
それは、本当に体だけだったのか?
彼女といる時、ずっと頭の片隅にはうらさんが鎮座していて、全然離れてくれなくて、だから自分も気付けば自然とうらさんのことを考えていた。
それを恋という言葉で表さないとしたら、逆にどう表わせばいいのか。
自分が単純な人間なのはその通りで、けれど、だからこそ揺るがない芯をずっと頼ってここまで紡いできたのだ。
彼女のことは嘘偽りなく好きだった。
笑顔が可愛くて優しくて、正直まだ引きずっている部分もある。
じゃあ、うらさんは?
帰り道、一人にしていたことに少しだけ罪悪感があった。遊びに行った時、うらさんと行っても楽しいだろうなとずっと考えていた。
隣にいるのが当たり前だと思っていた。中学生の頃、すれ違ってもそのまま疎遠になるという考えは全くなかったし、やっぱりどこかでうらさんのことを考えていた。
他の友達と同じ状況になったとして、同じように相手に自分の全てを許せるかと問いても、その答えは否だ。
なんだ、こんな簡単なこと。ずっとずっと拗らせて、遠回りして、遠回りさせて。
多分俺は、あの子を好きになるよりも前から、うらさんのことが好きだった。
うらさんが他の誰かのものになるなんて考えられなかった。頭が勝手に拒否していた。考えたこともなかったのだから。
誰かの一番になれなくなってしまうかもしれないということが、こんなにも自分に打撃を与えるだなんて思ってもいなかった。
幸い、人から嫌われたことはそこまでない人生だった。
そこそこ周りに恵まれて、虐められることもなければ人の輪から外されることもなくここまでやってきた。
だからだろうか。
彼女と別れたという事実よりも、自分が他人から必要とされなくなってしまったことが、うらさんが自分を求めなくなってしまったというこの現状が、一番のしかかってきて、重い。
寂しさとか悲しさとか切なさとか、そういうものが全て渦巻いて、襲いかかってきて、耐えられなくて。
それでも、うらさんだけは最初からずっと飽きることなく俺を求めてくれた。
それが嬉しくて、気が付けば心の拠り所にさえなっていた。
足りないところを全部埋めてくれる存在。
だから、それに応えたくなった。
与えられるだけでなく、与えられた分返したくなった。
始まりはうらさんからだったのに。
知らないうちに、俺がうらさんのことを求めていた。
誘うのも俺から、突然のキスも俺から。
その度に少しだけ嬉しそうな、困ったような複雑な顔をするうらさんを見て、自分の欠けてしまった部分が埋められていくようだった。
○●○
その日は雨が降っていた。
うらさんの家を訪ねた。
この時間は親御さんがいないと分かっていて、あえて。
怒ったような顔をしたうらさんが出迎えてくれて、瞬時に追い返されると思ったけれどそんなことはなくて、事務的に部屋まで通された。
小さい背中を見つめて口を開こうとした瞬間、振り返ったうらさんが殴るような勢いで顔を近づけてきた。
そのまま乱暴にキスをされ、痕が残りそうなほど強い力で腕を掴まれ、俺はベッドに投げ出される。
こんなに痛いキスは久しぶりだった。あの、初めて手を出してきた時のような。
「お前さ、ほんとなんなの」
低い声が降りかかってくる。
「女作ってみたり、俺のこと好きって言ってみたり。俺が欲しいの、お前の体だけだと本気で思ってる?」
「好きでもないのに軽々しく言うなよ。俺馬鹿だから、勘違いしそうになる」
「なんで俺のものにならないの」
「どうしたら俺のものになってくれるの」
「なあ、俺、お前と都合の良い関係になりたかったわけじゃない」
「ずっと欲しかった。お前が、さかたのことが欲しくて欲しくて、どうすれば良かったの」
「おれ、ずっとさかたのことしか考えてない」
そうだ。
俺もずっとそうだった。
放課後彼女と帰る時も、休日遊びに行く時も、意識のどこかにはいつもうらさんの存在があった。ずっと気にかけていた。
帰り道、一人にしていたことに少しだけ罪悪感があった。遊びに行った時、うらさんと行っても楽しいだろうなとずっと考えていた。
隣にいるのが当たり前だと思っていた。中学生の頃、すれ違ってもそのまま疎遠になるという考えは全くなかったし、やっぱりどこかでうらさんのことを考えていた。
どうやったら前みたいに戻れるのか。どこで顔を合わせるのが恥ずかしくなってしまったのか。ずっとそんなことを考えていた気がする。
「最後にしてくれていいから」
引き攣ったような、掠れた言葉に思わずうらさんの瞳を追った。
同時に、一筋の雫が白い頬を伝って滑り落ちていく。
うらさんの涙なんか、ここ何年も目にしていなかった。
「ごめん」
「……なにが」
「うらさん、ごめん。この間、好きって言って」
「なあ、」
遮るうらさんの声色があまりにも痛くて、思わずこちらが口を噤んだ。
「好きって、嘘だったの?俺ばっかり、ずっと、おればっかりで、なんにも返ってこなくて、そんなに俺を弄んで楽しかったかよ」
「ちがう」
どうやったら、こんな不誠実な俺の言葉が、上手くうらさんの心に入り込めるんだろう。
「好き。うらさん、好きだよ」
「そんな薄っぺらい言葉、どうやって信じればいいの」
その通りだ。
正しい伝え方が、俺には分からない。
「どうしたら信じてくれる?」
「わかんない」
「うらさん、」
「俺、お前がわかんない」
とうとう、うらさんは両手をぐっと握りしめて目元を覆ってしまった。
「泣かせてごめん」
「何を信じたらいいのか分かんない。好きって言ったのは、うそだった?」
「嘘じゃない」
「でもお前、俺に全然興味なさそうだったじゃん」
「そんなことない。ずっとうらさんのこと考えていたよ」
「その言葉が信じられないんだって」
「……そう、だよね」
どうしたら信じてくれるかな。
しゃくり上げるうらさんの両手首をそっと掴みその顔からゆっくりと離す。
涙でべしゃべしゃに濡れた目元が痛々しくて、見ていられなくて、考えるよりも先にうらさんの唇を目掛けて顔を寄せた。
音もなく唇を重ね合わせる。俺の温度を移すように、うらさんの熱をもらうように。
何度も重ねたはずなのにやたらと甘く感じて、それがやけに愛おしく思えた。
「これでもまだ信じてくれない?」
吐息のかかる距離。これが自分の精一杯だった。これ以上は、どうしても今まで以上に大事にしたくて手出しできなかった。
「……もっかい、好きって、言って」
「好き。本当に好き」
至近距離にある緑がかった瞳の奥を見つめて応える。
「じゃあ、愛してる?」
試すようで不安なような、眉を八の字に寄せたうらさんが文字通り目の前にいる。
「……あ、いしてる」
突っ掛かりながらどうにか声を絞り出す。頬が熱くて仕方なかったが、それ以上に顔を林檎のように真っ赤にしたうらさんがどうしようもなく可愛く思えて、自分がどんな顔をしているかなんてそんなのもうどうでも良かった。
「……都合良すぎ」
「遅くなってごめん」
「ほんと遅い。ばか」
「うん、大馬鹿野郎でごめんね」
顔の中心にぎゅっと力を寄せ、うらさんの両手のひらを探り当て包む。
小さく震えているそれが可哀想で、ぐっと痛くない程度に力を込めた。
「一生隣にいてくれないと許さない」
「今までもずっと近くにいたやろ?何を今更」
「だってお前離れていきそう」
「そんな信用ないかなあ」
「飽きっぽいし」
「……それは確かに」
「すぐあちこちふらふらするし」
「……それもあるなぁ」
「不安になる」
「うらさんこそ何も言わず消えそうやから不安になるわ。お互い様やね」
気付けば指を絡ませ、吐息を合わせ、幾度ともなく体を繋ぎ合わせた数々の記憶なんて朧げになるくらい脈打つ鼓動が合わさって、ようやく初めて、孤独でない二人だけの時間が秒針を刻み始めた。
「……絶対、離さないからな」
「うん」
雨音が窓を打ちつける。
暗く翳る外にこの先ずっと光なんて来なければいいのにと、そう二人だけの時間が暫く続けばいいと、天に願う他なかった。
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